Garry Pandaが始まった理由
僕が日本語ラップを聴き始めたのは、中学生の頃だった。
ブッダブランドやZeebraを聴き始めたことをきっかけに、気づけば音楽だけではなく、ファッション、ダンス、スケボー、BMX、DJといったヒップホップカルチャーそのものに、どんどんのめり込んでいった。
スケボーも少しやった。でも、自分にはBMXのほうが合っていた。
BMXをする友達とつるみ、音楽を聴き、遊び回る。
振り返れば、けっこうやんちゃな中学時代だったと思う。
高校に入ると、興味は自然と海外のHip Hopにも広がっていった。
DMX、Missy Elliott、Dr. Dre、Eminem、50 Cent。
毎日のように彼らの音楽を聴いていた。
そして高校2年のとき、初めてクラブに入った。
沖縄県沖縄市にあった「UNITY」というクラブだった。
薄暗い店内。
身体に響く大きな音。
学校では出会わないような大人たち。
そこには、普段の生活とはまったく違う世界があった。
あの独特な空気に一瞬で惹き込まれたことを、今でも覚えている。
18歳のとき、初めて自分で稼いだ給料でDJセットを買った。
TechnicsのSL-1200シリーズのターンテーブルとミキサー。
たしか全部で15万円くらいだったと思う。
当時の自分にとっては、かなり大きな買い物だった。
でも、不思議と迷いはなかった。
そこからの3年間、生活の中心はほとんどDJになった。
毎日、約3時間。
スクラッチ。
曲のつなぎ。
二枚使い。
DJ Premier、DJ SWING、DJ TASHI、DJ Qbert、DJ Shadow。
彼らのプレイに影響を受けながら、指が思うように動かなくなるまで、ひたすらターンテーブルに向かった。
誰かに「やれ」と言われたわけじゃない。
お金を稼げる保証もなかった。
そもそも、DJだけで食べていこうなんて考えてもいなかった。
ただ、うまくなりたかった。
そして何より、
DJをすることが、めちゃくちゃ楽しかった。
でも、時間が流れるにつれて、生活は少しずつ変わっていった。
20代後半でアメリカの大学へ進学し、卒業後はロサンゼルスの貿易会社に就職した。
営業として3年間働いた。
アメリカでも中古のDJセットを買い、いくつかのイベントでDJをすることはあった。
もちろん、それは楽しかった。
でも仕事に追われるうちに、いつの間にかDJは生活の中心ではなくなっていた。
そして2020年。
7年ぶりに日本へ帰ることになった。
帰国を控えたある日、突然、一通の連絡が届いた。
昔、DJを教えた後輩からだった。
「今、日本にいるんですか?」
「これから東京に住むよ」
そう返すと、
「僕も東京でDJしてます」
正直、驚いた。
彼がまだ13歳くらいだった頃。
僕が毎日がむしゃらにDJを練習していた時期に、ほんの少しだけ基礎を教えたことがあった。
その経験もきっかけの一つになり、彼はその後もDJを続けていたという。
そして今では、東京でDJとして活動していた。
さらに彼は言った。
「一緒にDJしましょう」
日本へ帰って、まだ1週間も経っていなかった。
僕は都内のバーで、何年ぶりかも分からないくらい久しぶりに、日本でDJをした。
しかも、隣にいるのは、かつて自分がDJを教えた少年だった。
こんな展開、誰が想像する?
DJブースの前に立ち、最初の曲をスピン。
その瞬間だった。
昔の感覚が、一気に戻ってきた。
18歳の頃。
ただうまくなりたくて、毎日スクラッチを繰り返していた自分。
新しいつなぎ方が一つできるようになっただけで、嬉しかった自分。
誰よりもフロアを盛り上げたいと思っていた自分。
音楽だけに夢中だった自分。
全部が、一気にフラッシュバックしてきた。
そして何より、
クソ楽しかった。
「ああ、俺はやっぱりDJが好きなんだ」
そう思った。
住む国も変わった。
仕事も変わった。
生活も変わった。
何年も時間が経っていた。
それなのに、DJをした瞬間だけは、一瞬で昔の自分に戻ることができた。
あの再会で思い出したのは、DJの技術だけじゃなかった。
クラブで朝まで遊び、外に出たときに見た朝日。
指が思うように動かなくなるまで練習した夜。
MIX CDを何十枚も作っては、また次のMIXを作っていた時間。
周りの評価も、
仕事も、
お金も関係なく、
ただ一つのことに夢中になっていた自分。
大人になるにつれて、少しずつ変わっていった。
周りからどう見られるかを気にするようになった。
仕事のことを考える時間が増えた。
お金のことを考える時間も増えた。
もちろん、それは大人として生きていくうえで必要なことだったと思う。
でも、いろいろなものを優先するうちに、
「自分が本当に好きだったもの」
を、少しずつ後回しにしていたのかもしれない。
本当の自分を、少しだけ忘れかけていたのかもしれない。
でも、大人になった今だからこそ分かる。
俺は、本当にDJが好きだったんだ。
だから、もう一回やってみようと思った。
ただし、昔とまったく同じことを繰り返すのではなく、
今の自分だからできる形で。
クラブだけに戻るのではなく、自分が好きだった音楽、自分が影響を受けてきたカルチャー、自分なりのDJを、もっと自由な形で残していきたい。
まずは、自分のルーツをもう一度たどってみようと思った。
忘れかけていた自分と、もう一度向き合ってみようと思った。
そのために選んだのが、インターネットを通じてDJ MIXをYOUTUBE動画で届けることだった。
そうして始まったのが、
Garry PandaのDJ MIXチャンネルだ。
このチャンネルの始まりにあったのは、
華やかな目標でもなかった。
大きな事業計画でもなかった。
有名になりたいからでもなかった。
もう一度、
DJに夢中だった頃の自分とつながりたい。
ただ、それだけだった。
あの日、突然連絡をくれて、
忘れていた感覚を思い出させてくれた後輩DJには、今でも本当に感謝している。
もし、あの連絡がなかったら。
もし、あの日一緒にDJをしていなかったら。
Garry Pandaは始まっていなかったかもしれない。
ただ、このチャンネルはやがて、
自分自身を取り戻すためだけの場所ではなくなっていった。